浦和南高等学校(現:さいたま市立浦和南高等学校)では、高校1年生時レギュラーとして出場した全国高校サッカー選手権 大会優勝。中央大学を経て1983年に日産自動車サッカー部(現:横浜F・マリノス)に入部、日産黄金時代の主力の一人として活躍した。また、日本代表に選出され、国際Aマッチ通算17試合に出場。Jリーグ発足直後の1992年、浦和レッドダイヤモンズに移籍守備の中心として活躍した。1994年には京都パープルサンガでプレーしたがこの年限りで現役を引退した。引退後は、福島FC、大塚製薬(現:徳島ヴォルティス)のコーチを務め、1999年から当時JFLの大塚製薬の監督に就任。2003年、2004年とJFLで2年連続優勝し、J2昇格を果たす。 2006年9月、徳島ヴォルティスを辞任。2007年より、バンディオンセ加古川の監督に就任。2008シーズンで退任。 2009シーズンよりサッカー解説者。